会長あいさつ
ヨットは王侯・貴族のスポーツと言われることがあります。ヨットスポーツの歴史にイギリス王室の貢献が深く刻まれているからでしょう。しかし、ヨットの始まりは実は、市民革命後のオランダ市民が海遊びに用いた小舟「ヤハト」だと言われています。ヨットが日本に初めて伝わったのは、明治開港期の横浜の山下町にあった外国人居留地でした。日本のヨットが商工業都市横浜で始まったことは大きな意味を持っていると思います。横浜では、同じくヨットが盛んになった開港地の神戸や長崎あるいは外国人の避暑地となった湘南や高原湖畔と違って、勤労市民のヨットマンの活躍が顕著であったと言われています。その横浜の地で私たちが伝え育てたいと願うのは、「市民のヨット」とでも言うべき文化にほかなりません。
ヨットは地球上どこへでも海を通じてつながっており、誰でも身一つで出かけられる夢があります。ヨットの国際性と自由は、このスポーツが持つ本質です。海港都市横浜が、戦前からこのヨット文化を大切にしてきたことは必然であったと言えましょう。しかし今日ヨットで都市周辺の海に出るには、高額のマリーナ料金を払わなければならないということになっています。海は本来誰の物でもありません。かつてヨットは、横浜でもそうでしたが、海岸や河川のどこにでも係留していました。横浜市民ヨットハーバー(市民ハーバー)も、高度経済成長時代に、本牧埠頭建設のため係留地禁止となった周辺海域のヨットが、代替港の建設という条件で暫定的に現在地に移転して成立した係留地です。現在まだ暫定港のままなのは、その後激変する時代のはざまで、ふさわしい候補地が決まらなかったためですが、根源にはヨットを取り巻くそんな世相の反映があったのかもしれません。
本牧には、かつて日本最古のヨットハーバーと言われる「横浜ヨット港」があり、日本における「ヨットのメッカ」と呼ばれる地域文化がありました。市民ハーバーの前身はその「横浜ヨット港」であり、今日の市民ハーバーは、その文化の正統を継ぐヨットマンの「ふるさと」のような泊地です。それは、ヨットへの深い理解を示す横浜市の政策理念と、これに呼応するヨットマン集団のボランティア精神とが結ばれ形成されました。以後、「自主管理」で運営されてきたこの市民参加型ハーバーが、将来どこに到達するのかはまだ分かりません。市民の皆様とともに、「市民のヨット」をめざして、今後とも考えて参りたいと存じます。ともすれば閉鎖的と批判されることもありますが、会員の流動性が一切断たれているわけではありません。ご理解たまわりますと同時に、活動にご協力頂ける方への門戸は開放されておりますので、ぜひお立ち寄り下さいますようお願い申しあげます。
横浜市民ヨットハーバー管理委員会 会長 吉田えり子
ハーバーの歴史
日本で初めての大規模なヨット専用港が、戦前1941年に新山下に建設されました。前年開催予定だった東京オリンピックのヨット会場として着工され、戦争のためいったんは頓挫しましたが、ヨット関係者の熱意もあって完成した「横浜ョット港」です。戦後、日本のヨットのメッカと呼ばれるほどになりましたが、高度経済成長の中で本牧ふ頭建設のため1968年磯子に移転しました。それが、今日の「横浜市民ヨットハーバー」の始まりです。かつて「横浜ヨット港」は、横浜市教育委員会とヨット関連団体による「管理運営協議会」によって運営されていました。市民ハーバーが今「自主管理」で運営されているのは、この伝統を受け継いでいるのです。
「ヨット港」から継承した「自主管理」は、単なる施設管理方法ではありません。会贄と会員のボランティアにより設営される泊地のあり方は、市民参加型のスポーツ文化を構想した運営方法でもあったのです。他の立派なマリーナに比べ最低限の設備の簡素なハーバーですが、その分ヨット文化へのこだわりは濃厚です。1980年代、ヨット産業の発展とともに進んだヨットの大衆化は、科学技術の進歩とあいまって、冒険的要素の減少と余暇的要素の増大とによって、ヨットを手軽な楽しみとしましたが、便利さは往々にして人間力を奪うことがあります。逆に、手作りの市民ハーバーには、かつてヨットマンたちが海の技術と体験の伝承によって形成した、こだわりのヨット文化が残っています。私たちはその文化を大切にし、社会人ヨット教室やジュニアヨット教室で市民に伝え、レースやクルージング活動を通じて育ててきました。
沿革
昭和43年3月(1968年3月) 横浜市ヨットハーバー(中区山下町)が港湾整備事業で移転を余儀なくされ、150隻程の移動先として提供されたのが始まりです。
舟艇がこの地に移転し、市の指導を受けて規則を設け自主管理ハーバーとして運営しています。 敷地内には、クラブハウス・船具ロッカーハウス・ジュニアスクール用艇庫・修理船台・同上架装置などが配置され、海面上には乗降用桟橋が設けられています。
マリンスポーツを通じて青少年の育成や海洋国たる日本になるべく海の環境保全・マナーの向上・地域活動の協力等、社会に貢献できるハーバーであろうと努力しています。
昭和43年 移転当時の様子(提供大石) 昭和50年